【児童書】
小学校の高学年(5~6年生)向きの児童書です。
食育、社会貢献、読書感想などにおすすめしたい1冊です。
文章の中にある読めない漢字にふりがなが振られ、イラストも工夫され、子どもたちが読んでも、十分に良さが伝わる内容になっています。
忙しい大人でも1時間程で読め十分に楽しめます。
この本は、神戸・淡路大震災がきっかけで生まれたパンの缶詰の物語です。
「パン・アキモト」(栃木県那須塩原市)の秋元 義彦(あきもと よしひこ)さんは、被災地の人たちの声を聞いて、「乾パンのように長期保存ができ、やわらかくて、おいしく食べられる缶詰のパン」を発明します。
秋元さんがどうやってパンの缶詰を作り、多くの人に届けられるようになったのか? 奇跡の缶詰の物語です。
この本のあらすじ&感想をまとめましたので、よろしかったらご参考にしてみてください。
あらすじ
1章 パンの缶詰、宇宙に行く
NASU(那須)からNASA(ナサ)へ
パンの缶詰が広く知られるようになったのは、2004年の新潟県中越地震で支援物資として届けられたパンの缶詰を、被災地の人たちが食べている様子がテレビで放映。これが大きな注目を集めるきっかけになったのです。
その後、宇宙飛行士の若田 光一(わかた こういち)さんが、宇宙食としてスペースシャトル「ディスカバリー号」に乗せて、宇宙に持って行ったことで、更に多くの人に知られるようになりました。
パンの缶詰の重さは100グラム。同じサイズの桃の缶詰の四分の一の重さです。
宇宙に持って行くには、幾つもの厳しい条件をクリアーする必要があります。
- 絶対に食中毒にならない安全性
- においが強くない
- 常温で長期保存ができ、なるべく軽い
- 栄養がある
- 宇宙船の中で飛び散らない
これらを全てクリアーして、スペースシャトルに5缶のパンが積み込まれたのです。
パンの缶詰工場に潜入!
パン工場に入るには、白衣を着て、白い帽子をかぶり、マスクをかけます。
安全第一です。
パンの製造工程は、
- 材料を配合し、こめて生地を作る
缶詰パンのもとになる「パン生地(きじ)」を作ります。 - パンの味つけ
シート状のジャムペーストを、生地に折り込むことで味をつけます。 - 切って、缶の中へ
味つけした生地を、機械で自動的に1缶毎の重さに切り分けて、紙をしいた缶の中に入れます。 - 醗酵室で発酵させる
パン生地が2倍に膨らむまで発酵させます。 - オーブンで焼く
天板に15缶ずつ乗せてオーブンで焼きます。 - 紙で包み、熱を冷ます
パンを冷ました後に、紙をたたんでパン全体を包みます。 - 缶にふたをし、異物混入チェック
脱酸素剤を入れてふたをし、X線で異物混入を検査します。 - ラベルをはる
側面にラベルを貼ります。
たくさんの手間がかかる工程を通って、パンの缶詰はつくられます。
2章 パンの缶詰ものがたり
きっかけは阪神・淡路大震災
パンの缶詰が生まれるきっかけは、1995年1月17日に兵庫県淡路島を震源としたマグニチュード7.3の阪神・淡路大震災でした。
テレビに災害状況が映し出され、それを見て、知人を通じて現地に食パンなどを支援物資として送り届けたのです。
当時、現地は混乱状態。パンの一部は被災者に届けられましたが、半分以上は傷んで捨てられてしまいます。
保存できるやわらかいパンがほしい
しばらくして被災地から「乾パンのように保存性があって、やわらかいパンはありませんか」との連絡を受けます。
実験と失敗のくりかえして
やわらかくて長期保存のパンを開発するのですが、秋元パン店は町の小さなパン屋で、研究室があるわけでもなく、その日の作業を終えると、工場の片隅で実験を繰り返します。
初めに考えたのはパンの真空パックです。しかし、ビニール袋の空気を抜くとパンが潰れて失敗です。
その後、実験と失敗を繰り返していきます。
阪神・淡路大震災から1年半後に、ついにパンの缶詰が完成!
防腐剤などは一切入っていないのに、ふわふわのままで長期保存が可能なパンの誕生です。
最初に作ったパンの缶詰の賞味期限は、わずか1ヵ月。
その後、品質を高めて、現在の賞味期限は、クリーム系のパンは1年で、その他のパンは3年です。
「社会性のふりかけ」をかける
最初はなかなか売れませんでした。
宣伝費にかけるお金はなく、9月1日の防災の日に、地元市役所にパンの缶詰をプレゼント。この内容はメディアに取り上げられます。
被災者の声から生まれた新しい備蓄食というインパクトに、パンの缶詰は一気に拡散。
海外からいきなり電話があるほどの大反響です。
新潟県中越地震で再び話題に
2004年の新潟県中越地震、震災1週間後に再開した学校の給食で、数日間パンの缶詰が配られ、これがニュースになり全国から注文が殺到!
しかし、1日の製造量は4千~5千缶。
製造が間に合わず、遠く離れた沖縄にパンの缶詰工場を立ち上げます。
3章 パン屋のバトンを受けついて
秋元パン店は、父の健二(けんじ)さんが1945年(昭和22)にオープン。
秋元さんは大学卒業後に、東京のあるパン屋で2年間見習いとして働き、後を継ぎます。
創業者の健二さんは、新しいことに挑戦し続けた人だったので、二代目の秋元さんもいろいろなことを試します。
お店でパンを売るだけではなく、車での移動販売やスーパーマーケットの中にインストアベーカリーを開いたりします。
秋元さんが本格的に経営を受け継いだのは、パンの缶詰を開発した4年後の2000年(平成12)です。
4章 世界にパンを届ける「救缶鳥(きゅうかんちょう)プロジェクト」
缶詰の賞味期限が切れるとき
テレビなどの報道でパンの缶詰が広く知らせるようになり、災害用の備蓄食として大口の受注が増えます。
ある日、缶詰を納めたある市役所から、賞味期限が近いので、新しい缶詰を買って入れ替えたい。その代わりに古いものは処分して欲しい。
賞味期限切れの缶詰の処分は、「産業廃棄物」の扱いで処分費は1缶70~80円。
世界にやさしさを届ける
2004年12月にインドネシアのスマトラ島沖で地震が起こり、津波で家が流さる大きな被害発生。
その数日後、知人から売れ残ったパンの缶詰があれば送って欲しいとの連絡。賞味期限が切れる前のものを送り届けます。
日本では、パンの缶詰は非常食として蓄えておくだけで、食べるという発想にはなかった。
しかし、世界には飢えに苦しむ人がいる。
賞味期限が近付いたものは処分せずに、人への支援ができるのでは?
パンの缶詰の賞味期限が切れる1年前にお客様に声をかけ、新しい缶詰を届けて、古い缶詰を回収し、回収した缶詰は、海外の困っている人に届け仕組みを考えたのです。
この仕組みは、商品購入者を増やすことと、社会貢献を同時にできる画期的なシステムになりました。
この活動は、世界中の飢えで苦しんでいる人たちを救う「救缶鳥(きゅうかんちょう)プロジェクト」と名付けられ、2009年9月9日に本格的に動き出します。
5章 わらって楽しく仕事を続けよう
パン・アキモト、最大の危機!
2010年末に缶詰のふたの内側にサビが発生し、大量10万個の商品が返品。
原因は塗料でした。缶のふたの製造メーカーで塗料の乾燥が足りず、そのためにサビが出たのです。
元をたどればパン・アキモトのせいではありませんが、パン・アキモトの商品だからアキモトの責任です。
人体の被害は出なくとも、会社にとっては大きな損害です。
トラブルは神さまの計画
ちょうどサビ問題が解決したころ、東日本大震災が起こります。
パン・アキモトの那須工場も被害。営業できない日が続きます。
それでも全国から集められた救缶鳥を、東北の被災地に届けるため足を運びます。
那須の工場は生産できなくとも、沖縄工場からたくさんの缶詰を出荷しました。
会社は厳しい状態でしたが、「困っている人がいるのなら」と支援活動を続けたのです。
たまたまテレビ局が秋元さんたちの活動を放映し、それを見た人から「パン・アキモトを通じて東北を支援したい」と、たくさんの寄付金が寄せられます。
ジャムおじさんになろう
ビジネスをしながら社会貢献や社会問題を解決することは、「ソーシャルビジネス」と呼ばれ、パン・アキモトの活動がその先駆けでになりました。
秋元さんは「アンパンマン」に登場するジャムおじさんを理想します。
アンパンマンは、困っている人やお腹を空かせた人たちに、自分の顔をちぎって差し出します。その顔を焼くのがジャムおじさんです。
世界を助けようとする救缶鳥を、毎日心を込めて作ることは、ジャムおじさんに似ているのかもしれません。
感想&まとめ
秋元さんは講演の時に、必ず話すことがあります。
「ミッション(自分の使命)、パッション(情熱)、アクション(行動)」という言葉です。この三つが人を動かします。
ある国の80代以上のお年寄りに、「人生で一番後悔していることは何ですか?」と尋ねると、70%以上の人が「チャレンジしなかったことだ」と答えるそうです。
秋元さんは、自分から行動した時、自分の意見がいえた時、何かが少し変わり、たとえ失敗してとしても、自分で決めて動き始めることは、必ず自信につながのだと。
更に、周囲からの反応を恐れずに、気楽にやること。
救缶鳥プロジェクトのある取組事例の紹介ですが、名古屋市にある金城学院中学校・高校では、入学と同時に救缶鳥を生徒一人につき2缶ずつ購入するのです。
1缶は自分のために、もう1缶は災害が起きて学校が避難所になった場合の近隣の人のためです。
この思いやりの精神は、しっかり引き継いで頂きたいし、私たちでもやれることと思います。
被災地の人たちの声を聞いて、パン屋の片隅で、100回以上実験を繰り返し、あきらめず、失敗を繰り返しながらも続けて行くことの大切さを伝えたい一冊です。
更に、9月1日の防災の日、震災の追悼日などの機会に、親子で読んで頂きたいおすすめの一冊です。
最後までご覧くださりありがとうございました。
次回もよろしくです。