【1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタの紹介です。】
4月12日の「パンの記念日」に由来します。
日本で初めてのパンといえば、中国のアヘン戦争後のイギリス襲来に備えた「兵糧パン」です。
▶ アヘン戦争
清(しん)とイギリスの間で1840(天保11)年から2年間にわたり行われた戦争です。
清(しん)または大清帝国(だいしんていこく)は、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝です。
イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていました。
アヘンの蔓延に危機感をつのらせた清がアヘンの全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したため、反発したイギリスとの間で戦争となりました。
結果、イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲(かつじょ)他、清にとって不平等条約でした。
固いパン(乾パン)は保存性と携帯性に優れ、味もまあまあの評判のようでした。
1842(天保13)年4月12日、伊豆韮山(現在の静岡県伊豆の国市)の砲術研究家・江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)は、自宅の庭で日本初のパンを焼いたとされています。
パン食普及協議会はこのことを記念し、4月12日を「パンの記念日」、毎月12日を「パンの日」、1983(昭和58)年3月に制定しました。
江戸時代の鎖国が1854年に解かれると、横浜や神戸などの港町を中心にパン作りが広がります。
現存するもっとも古いパン屋は「木村屋総本店」です。
1869(明治2)年、東京・芝日陰町に「文英堂」として開業しました。
その5年後の1874(明治7)年、東京・銀座4丁目で「酒種(さかだね)あんぱん」を開発・発売し、人気商品となります。
(引用:銀座 木村屋総本店HP)
1955年(昭和30年)以降、日本では「パン」消費量は急増していきます。
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関連記事の紹介
▶ 銀座 木村屋総本店の初期時代
1869(明治2)年:東京・芝日陰町に「文英堂」を開業。
1870(明治3)年:東京・京橋区(現在の銀座付近)に移り、屋号を「木村屋」と改称。
1874(明治7)年:東京・銀座4丁目で「酒種あんぱん」を開発・発売。
1875(明治8)年:明治天皇に「桜あんぱん」を献上。
▶ 4月4日の「あんぱんの日」といえば?
1875(明治8)年4月4日、明治天皇に「桜あんぱん」を献上した日を、「あんぱんの日」に制定しました。
明治天皇両陛下が東京の向島にある水戸藩の下屋敷でお花見をする際、お茶菓子として、お出しするためです。
日本を象徴する国花「桜」に着目し、奈良の吉野山から八重桜の花びらの塩漬けを取り寄せ、あんぱんに埋め込んだようです。
ちなみに、その昔、木村屋と中村屋の取り決めには、「こしあん」のあんぱんには「ケシの実」、「粒あん」のあんぱんには「黒ごま」をつけるルールがあったのだそうです。
▶ 「酒種(さかだね)あんぱん」
酒種を使用した木村屋総本店オリジナルのあんぱんです。
酒種は、米と麹と水から作られた酒種酵母菌のことです。
酒種もイーストも同じ酵母の仲間ですが、増殖するために栄養源(食べるもの)が違います。
一般の市販イーストは、砂糖の製造過程でできる糖蜜を栄養源に、化学的に管理され機械ラインで大量に製造されます。
酒種は、米と麹と水から作られた発酵種で米を栄養源とします。酒種は簡便性では、イーストに劣りますが、風味の点においては優れています。
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まとめ
会社や集会などでスピーチに困ったことはありませんか?
人前で話すことが苦手な人に、1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタを紹介します。
1分間に話す文字数の目安は300字と言われています。スピーチが不慣れな人は、300字よりも少なめの文字数で準備し、落ち着いて少しゆっくり目に話されることをお勧めします。3分間スピーチの場合は、その約3倍の900字が目安になります。
よろしかったらご参考にしてみてください。
くれぐれも時間厳守でスピーチ頑張ってください。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。